Google+ 月イチ海外旅行プランナー: 序

2010-01-01

思えば一人旅をするようになったのは、三年前にマレーシアはクアラルンプールに赴任して、異国の地で一人暮らしをしてから。それまでパスポートには、仕事で海外出張したアメリカと中国、あと他数個の出入国印が、さびしく押してあったくらいのものでした。

3才から6才までアメリカに住んでいたのに、海外に住んでいた時の記憶は何故か理由がわからないほどに断片的で、日本の記憶はもちろんないわけです。そういう意味では、自分にとって海外は、実体として住んでいたのに、ほとんど具体的な記憶はないという不思議な存在で、大袈裟にいえば、幼少期の存在そのものが、実感が薄いものなのです。そのせいか、自分にとっての海外は、根源的な回帰心を呼び起こすものであったり、憧れを抱いた存在であり続けました。

そんなことを頭の片隅では考えることもありつつ、ほとんど海外とは縁のない生活が20年以上も続いてきて、予測もしていなかったところから、海外赴任のチャンスを得ることができました。もともと好奇心で物事に手を付けがちな性分もあって、ろくに英語が話せなくて仕事にならないと知りつつ、貴重な海外赴任のオファーを受けたのでした。

シンガポール、クアラルンプール、バンコクの三都市を、一ヶ月の間にぐるぐる周りながら、周辺の国へも出張する生活がつづいて、体力的にはキツかったけど、短期間でいろいろな土地を知ることが出来たのは本当に楽しかったです。海外赴任しても、たいていは一都市だけでの生活になることを考えると、短期間に何都市もの生活を味わえたのは貴重な経験だったな、と思います。

見知らぬ異国の街は、一人で繰り出すだけでも何もかも新鮮でしたが、裏を返せば言葉も通じず、わからないことだらけで、屋台での注文の方法がわからずにびびって結局食事を抜いてみたり、スーパーのレジで「何も聞かれませんように…」と緊張するたびに、そもそも本当に海外生活には向いていないなーと思ったものです。実際まったく向いていなかったと思います。

そんな中で、アジアの各国に一人旅で出掛けるようになったのは、結局は一人旅という未知の世界に対する好奇心が、いろんな不安を上回ったのだと思います。外国の言葉に慣れてきたというのも、大きな要素でしょう。

海外生活は基本的に過酷で、日々暮らすにも、うだうだ考える前にとにかくやってみるしかない、という一面があります。そして意外と思ったよりは何とかなる(決して上手くいくわけではないけど)ものでした。これは一般的に良く言われるようなことですが、聞くのと、実際やってみて実感するのとでは、大きな違いがあります。

好奇心から一人で旅してみよう、と思えたのは、そんな海外生活の経験則から受けた影響が大きいと思います。行ってみれば何とかなる、行ってみれば未知の世界が待っていると。もちろん、土日に一日足せば、リゾートや世界遺産に気軽に行けるロケーションあってこそでした。

私が一人旅がいいなと思うのは、一人ゆえの身軽さです。自分で好きなプランを立てて、朝から晩まで、時間を最大限に有効に使えるところがいい。そういう考え方なので、同じ日数でも、普通のツアーの2倍か3倍の場所を周ります。それでも充分に、ゆっくり過ごしたい場所では時間を使ったり、それぞれの土地を堪能できることを知りました。

そして、決して他では見ることの出来ない景色に出会って、その土地のグルメを堪能し、そこで出会う人たちと儚くも思い出深いつながりを持つことで、本当に旅の価値は充分にかけがえのないものになります。

一人ではなく、友人と行く旅も、とても楽しいです。旅先の時間を共有することの楽しさは、一人旅では得られないもので、みんなで行く旅行もとても好きです。旅の後に、そのときに起きた事件が話すネタになるのも良いところです。

しかし、一人旅の魅力は、旅先に一人で置かれることで、その土地を見て、感じて、考えることに時間を全部使うことができるところであって、言うなればその場所を全身で、五感でじっくり味わいつくすことができます。また、全部自分で考えて動く必要があるため、連れられて動く旅とは違って、道中の記憶も鮮明に残ります。

一人の孤独感が、その土地の奥深さや新鮮さの輪郭を際立たせてくれて、非日常体験という旅行の効能を存分に引き出してくれます。それは、点と点の移動になりがちなツアーでは得られない感覚で、旅行の醍醐味はまさにここにあると思います。そういった感覚を求めて、これからも、できるだけ多くの世界に旅に出たいと思っています。