Google+ 月イチ海外旅行プランナー: 2010-01

2010-01-31

Arbol del Ture, Oaxaca - Mexico


世界最大の幹廻りを誇り、ギネスブックにも世界最大の木と登録されているヌマスギがある。

高さではレッドウッド、容積ではジャイアントセコイア、長寿ではブリッスルコーンパインなどがあるが、幹廻りとしては世界一と言われている(世界一は諸説あり、南アフリカにある『BIG TREE:バオバブ』だという説もある)。

このヌマスギは、メキシコ・オアハカ州 サンタマリア・エル・トゥーレ村に立つ。高さ42m、幹周り58m、樹齢2000年と言われ、長い年月をかけて生長した枝は、1本1本が普通の木の幹ほどもあるという。『トゥーレの樹』の異名を持つこの木は、たった1本の木なのに、まるで森のような佇まい。小さな教会に守られ、日の光を浴びながら聳え立っているその威容に、圧倒されることだろう。一度は、見に行きたいと思っている。

さて、日本からオアハカまでは、どうやって行けるのか。
基本スタアラで飛ぶのが使命なので、スタアラで考えてみると…
あまり考えていなかったCOで行けるんですな。しかも1ストップ。

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1.  Tokyo/Houston  CO006 Flight duration: 11h 40m
     Continental Airlines
       Departure 16:10 Tokyo (NRT), Japan
       Arrival 13:50 Houston , TX (IAH), USA

Change of plane required. Stop duration: 4h 25m

2.  Houston/Oaxaca  CO2126 Flight duration: 2h 28m
     Continental Airlines
       Departure 18:15 Houston , TX (IAH), USA
       Arrival 19:43 Oaxaca (OAX), Mexico
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まあしかし、IAH/OAXは、以下のように書いてある。

Continental flight 2126 operated by ExpressJet Airlines, Inc. dba Continental Express.

dba、というのは、"doing business as" ということなのだろうが、果たしてこういったdba便が、ANAへのマイレージ積算対象になるのかはよくわかりません。何となくなるような気はするのですがね。

2010-01-30

シンガポールのおすすめチキンライス

シンガポールに行くと毎回たのしみなチキンライス。
週末だけシンガポール往復とかすると、ほとんどこのチキンライスだけを食べて帰ってくるような旅行になったりもします。

・すぐ出てきて、気軽に食べられる
・鶏にアブラが乗っている
・安い(5S$以下)
・チリが美味い(重要)

そんなところが好みです。
美味しかったところは幾つかありますが、あえて絞るなら以下2つ。

・五星海南鶏飯飯粥 - Five Star Hainanese Chicken Rice
419 River Valley Road 他
・天天海南鶏飯 - TIAN TIAN Hainanese Chicken Rice
Maxwell Food Centre内(China Town)

このほか、ガイドブックにもれなく載っているのは、メリタス・マンダリン・シンガポールのホテル内にあるチャッターボックス - Chatterboxでしょうね。あとは文東記とか。

シンガポーリアンに薦められたのは、五星海南鶏飯でして、ここは本当に美味しかった。食べた中では、一番のおススメです。

Chatterboxも、もちろん美味しいです。ボリュームもあるし。しかし…開放的なホッカーで食べてこそのチキンライス(レストランで上品に食べる気がしない)なのと、あまりにChatterboxはお高いので、まあ少なくとも1人旅では行かないかな、と。

普通のホッカーにあるチキンライスも十分おいしいので、わざわざお目当ての店に行くこともなくなりましたが、またいつか行きたいと思っています。

2010-01-29

ANAグループ 2010年度 航空輸送事業計画雑感

ANAグループの2010年度 航空輸送事業計画が発表されました。
いろいろな人が記事を書いていますが、いくつか思ったことを。

・成田=ミュンヘン線(7月1日~)
ミュンヘンはルフトハンザとスタアラのハブなので、
乗り継ぎがメイン用途でしょうかね?
日本=ヨーロッパの直行便がない都市へは、利便性が高まりそう。
ただヨーロッパ内はLCCがやたら多いから、わざわざスタアラを
使ってヨーロッパ域内を飛ぶか?という話もあり。値段&距離から
考えたら、LCCで十分という気もします。

・羽田=台北(松山)線の開設(10月31日~)
時間帯と値段によるが、使い勝手は格段によくなりそう。
今は台北→成田の台北発が13:00が最終便だから、ANAを選ぶと
現地滞在時間が少なくなるのが、かなりネックだったので。

・羽田=香港が深夜→昼間便に変更(10月31日~)
羽田午前発、香港午後発に変更らしいです。
週末海外派としては、今回一番ショックを受けました。
金曜夜に羽田を出て、月曜早朝に羽田に戻ってくることが
出来る、非常に貴重な便だったのですが。
機材は777-200ERになるので、それは○。
ただしPYはなしでしょうか。

#早く4~6月の中国・東南アジア方面のスーパーエコ割を発表してほしい…。

2010-01-28

シンガポールで一番お得な両替手段?


先週シンガポールに土日の1泊2日でいってきました。

久々に日本円→シンガポールドルに両替をしたのですが、2つのパターンを比較してみることに。以下の2つを同日に実施しました。

1.チャンギ空港にある銀行窓口(UOB)で両替
2.クレジットカードで国際キャッシング→帰国後、即前倒し返済

たいてい海外に行くと、空港での両替レートは、街中にある両替店などに比べて悪いことが多いですが、シンガポールの場合は、空港の両替レートがほとんど街中と変わらない(むしろ空港の方が良いこともあるみたい)ので、細かいことを気にしなければ基本的には空港両替でOK。

一方、クレジットカードで国際キャッシングするのも、海外でその国の通貨をお得なレートで手に入れる手段として知られています。が、返済するまで利子がつくので、その利子の額によっては、現地の銀行などで両替するよりも損をすることがあります。

そんなわけで、比較してみた結果…

1.チャンギ空港
:1シンガポールドル=65.21円
2.クレジットカードでキャッシングし、帰国後即返済
:1シンガポールドル=64.57円
(キャッシング~返済まで3日分の利子を含む)

今回のケースは、クレジットカードの圧勝でございました。

とはいえ、クレジットカードの場合は、日本に帰国してからキャッシングした金額をすぐに返済しないと、たいてい1ヶ月で1.5%くらいの利子を徴収されます(年率18%のところが多い印象)。

クレジットカードって、普通に使っていると、1ヶ月/1回の銀行口座からの引落としなので、何もしなければ返済は、少なくとも1ヶ月以上後ってわけです。クレジットカードの会社や引落としのタイミングにもよりますが、例えば1/23にキャッシングしたら、私の場合は返済は3/10です。1/23~3/10の日数分、利子を支払うことになります。

このように、キャッシングしてからだいぶ後に(銀行口座からの自動引落としで)返済するようだと、利子が取られ、結果としてチャンギ空港の銀行で当日両替するよりも損なレートになってしまうわけですな。

これまで通り、帰国したらすぐに返済!の大切さを知りました。3日くらいなら、それこそ数十円の利子しかかかりませんので、よいレートで現地通貨を手に入れることができます。

【Changi Airport Terminal 2 ラウンジ階より】

2010-01-26

The Michael Wing, Vienna, Austria - 12th May, 2008

 

初ヨーロッパの旅で何が辛かったかというと、何度も何度もミネラルウォーターを買っても、立て続けに炭酸入りだったことです。

ブラチスラヴァ→ウィーンは列車で1時間くらいですが、ちょうど昼食の時間だったので、巨大ハンバーガーと1.5リットル相当のペットボトル入りの水を買 いました。

ある銘柄のミネラルウォーターは、水色ラベルと、ピンク色のラベルの、たしか二種類でした。最初プラハで「当然ガスなしは水色だろう(勘)」と信じて買っ たら、見事にバリバリ炭酸入りで憤死したので、今度こそということで、ピンク色の方を買いました。ノドも乾いていたので、1.5リットルのお買い上げでし た。

もちろん、今回は慎重でした。事前にボトルを振ってみたりとか(意味なし)、スロバキア語しか書いていない謎の文字列のラベルを解読しようと、けなげな努 力はしましたが、炭酸っぽい単語の気配すらわかりません。聞けばいいという話なんですが、ここは聞かずに引き当てたいという無駄な探究心がありました。

片方が炭酸なら、残りの一方は炭酸じゃあるまいと信じるのが人情というものです。にもかかわらず、残念なことに、ピンク色の方も、ザ・炭酸水でした。炭酸 水って、飲むとノドが物理的には潤うんですが、基本的にマズイ上、なんかノドの乾きが癒される気が全くしません。お腹も一杯になるため、たださえ巨大なハ ンバーガーが、より巨大に見えてきました。

ほぼ満タンで残る1.5リットルの炭酸水(激重い)を、無事到着したウィーンで引きずる思いで持ち運びつつ、この国にはガス抜きの水はないのか?と真剣に 探している自分がいました。その前に、ネクターみたいなジュースが発見され、そっちにありついたのですが。

そんなこんなでノド乾かせつつ歩いたウィーンの街は、プラハやブラチスラヴァと比べて広大な都市でした。ここウィーンで、ハプスブルグ家の栄光の時代を知 る上で、この王宮やシェーンブルン宮殿の威容は、さまざまな文化系を強権で支配した、繊細で迫力のあるハプスブルグ王国の姿を在り方を感じさせます。建 築、宗教、芸術、政治など多岐にわたる分野において、数百年も前から細やかにそれぞれに成熟している多様性は、ヨーロッパでは特に強く感じました。狭い地 域に、これだけの数の国家が存在するのも、肌身でわかる気がします。そう思うと、こういった地域を遍く支配したという事実が、一層大きく感じられます。

ミヒャエル門を背にして、馬車が闊歩する姿を見ると、彼らが現役であった、ハプスブルグ家全盛の往時に思いを馳せたくなります。

【Kohlmarkt 方面から Michaelerplatz を望む】

2010-01-24

Huanglong, Sichuan, P.R.China - 30th Sep, 2007


黄龍風景区は、大学でお世話になった中国語教師が強く勧めてくれていた地です。教師が行ったころは、まだ空港もなく、成都からバスで延々と十何時間もかけ て悪路を走破して、やっとたどり着けるほどの秘境だったそうです。まだ野生のジャイアントパンダや金糸猴が生息しているという話もあります。

今や比較的気軽に行ける観光地になりましたが、3100~3500mの高地のハイキングコースなので、若干息苦しい感じがしました。小型ボンベで酸素補給 しながら、ゆっくりしたペースで歩かないと、高山病になる恐れがあるらしいです。

一番奥にある五彩池の美しさは言葉に表しがたいほどで、龍の鱗のような棚田状の池が、青、紫、緑を織り交ぜてさまざまな色をたたえています。さらに水量が 豊富なときに再度訪れたい地です。

【黄龍風景区:五彩池情報のラマ教寺院付近より】

Tribute WTC Visitor Center, NYC, USA - 30th Aug, 2007


9・11のテロの晩は、ちょうど会社の後輩と飲み終わり、家に戻る途中で知りました。ほろ酔い気分が吹き飛んで、たいした距離でもないのに、駅から駆けて 家に帰ったのを憶えています。

まだニュージャージーに住んでいたころ、マンハッタンの最高層ビルだったワールドトレードセンターは、子供にとって憧れの的でした。普段見ている街路樹や 人並みが点のように見えるWTCからの光景と昂揚感は、25年経った今でも思い出されるほどです。

昨年、グラウンド・ゼロに行く機会に恵まれました。実際どうなっているのか、そこに立った時にどういう気持ちになるのか。自身で確かめたいという衝動があ りました。

高い金属の塀に囲まれて、ろくに中も見えない工事中の跡地に立つと、何とも言えない虚しい気持ちになりました。再開発計画は、途上で資金難の壁にぶつかっ ているとも聞きますが、何かそういった先の話を考えるよりも、過去にぐっと思いを引っ張られてしまいます。それほどに、消えてしまったもの、置いてきたも のが大きいのだと感じました。

未だに行方が知れない人々の写真、「見かけたら連絡を欲しい」と切々と綴る家族のメッセージなどは、グラウンド・ゼロの横に建てられた、Tribute WTC Visitor Center に展示されています。

【Tribute WTC Visitor Center 1F展示室】

2010-01-20

Deer Cave, Gunung Mulu NP, Malaysia - 20th Jan, 2007


秘境という響きには無条件で惹かれます。それでも旅先で直に目の当たりにする非日常的な、人間では到底造り得ない圧倒的な光景に対峙する時、普段パソコンからや人伝に見聞きすることが、いかに表層的なことに過ぎないかと、否応なく感じさせられます。世界の極みを味わうことが出来るのが、秘境の魅力です。

マレーシアの国土は、大別すると西のマレー半島と、東のボルネオ島に分かれています。2007年1月に訪れたグヌンムル国立公園は、深い熱帯雨林が広がるボルネオ島にあります。ここの洞窟群は、1978年に発見されて以来の調査でも、全体の60%はまだ前人未踏という秘境ぶりです。まさに訪れるに値する世界が広がっていました。

ディアケイヴは、世界最大の入口・洞窟空間を持っているそうです。

まさに、地球の大地の割れ目としか言いようがないほど巨大。もはや入口が大きすぎて、洞窟と認識するだけでも大変です。洞窟天井に見える黒いシミは、すべてコウモリの塊です。

晴れた日の夕暮れ時には、数百万のコウモリが餌を求めて、洞窟から空へ一斉に飛び立ちます。夕刻には、ディアケイブの入り口が見える待機所で、コウモリが出てくるのをじっと待ちます。数隊にわたって飛び出してくるコウモリは、竜のような群れをなして、うねりながら空を舞って行きました。

【Deer Cave 入口付近のトレイルより】

2010-01-18

A riverbank of the Ganga, Varanasi, India - 8th Oct, 2005


自分は信仰する宗教はないけれど、宗教にまつわる建造物や土地は、信仰心を持たない自分にすら、しばしば神秘性を感じさせるものがあります。ちょうど訪問した時期は秋だったので、ガンジス川の水量が多くて泥で濁っていました。
ガンジス川のほとりは、石造りの階段状になっていて、腰掛けることができます。早朝、5時に起床して、日の出を静かにぼぉっと眺めながら、少年が売りに来てくれた温かい甘めのチャイをすすります。このチャイは、インドどこで飲んでも本当に美味しい。カレー味主体のインドの食事の合間に、ほっと一息つける瞬間でもあります。

川では、沐浴したり、乳飲み子を抱えながら祈りをささげたり、洗濯したり、ただ水遊びしたりする老若男女が、お互い触れあいながら存在しています。その横で亡骸が焼かれ、灰が流され、その向こうでは死んだ牛が、背中だけ見せながら流されて行きます。何か、どんな存在でも受け入れる、とても深い懐に包まれていると、感じずにはいられない空間です。

【黎明のガンジス川:沐浴】

2010-01-17

Musee de l'Orangerie, Paris, France - 14th May, 2008


オランジュリー美術館。モネの「睡蓮」の連作だけのための部屋があります。
クロード・モネが70代の晩年、8年間を費やして完成させた連作です。コンコルド広場からすぐのところに、あまり美術館らしくない普通の建物然として、しかも少し奥まったところにしれっと建っていました。2年前に改装しただけあり、非常にコンテンポラリーな構造の美術館です。

この作品は、パリを訪れたときに、楽しみにしていたものの1つです。美術に対する鑑識眼は、残念ながらあまり持ち合わせていないのですが、子供の頃に鑑賞したこの連作の1つの、色使いの奥深さは印象的でした。

きっと、昔と違った印象を受けるのだろうと、自分の反応が楽しみなところもありました。間近で見ると何が描いてあるかわからないようですが、一歩離れて眺めたときの光の表現は本当に素晴らしく、子供にもストレートに訴えてくる魅力を感じました。誰かが「ヨーロッパの街に住むからこそ、ヨーロッパらしい光の表現が出来る」と言ったのが印象的ですが、考えてみると、それぞれの土地で感じる光の加減に合った絵画が生まれているという気もします。

部屋の形は、緩やかな環状になっており、中央にはベンチも備えられています。訪れたときは、比較的空いており、じっくりと全体を鑑賞することができました。白い空間に浮かぶ睡蓮に囲まれて、しばし賑やかなパリの喧噪から離れられた時間でした。

【オランジュリー美術館:睡蓮の間】

2010-01-15

Lijiang river, Guilin, Guangxi, P.R.China - 28th Jul, 2007


桂林といえば、尖った岩山が群れる奇景の間を縫ってゆく川下りが有名です。この漓江川下りは、結論から言うとかなり退屈な旅でした。50人くらい、会社の同僚(95%中国人)と一緒に旅をするということで、ほとんど社員旅行みたいなもので、参加しないつもりが、いつの間にか参加することになっていたので、桂林についてはほとんど何も知らない状態で、上海からの飛行機に乗っていました。綿密に現地調査してから臨むスタイルの自分にとっては、それなりに異常事態でした。

この川下りですが、はじめの30分は「おお、これが話に聞く桂林の景色か」と、連なる川船と水墨画のような山々を眺めていましたが、とにかくどこまでいっても、ほぼ変化がありません。「あの岩肌には馬が九匹見えるので有名」などと、途中の名所で解説がありますが、割と普通の岩肌にしか見えず、想像力をフルに発揮して、やっと三匹くらいです。初めのうちは、船上の展望エリアも乗客でごった返していましたが、最後の方は暑いし、変化ないしで誰も外にはおらず、船内で賭けトランプが異様に盛り上がっていました。

大変時間がある方向けのプランだと思いました。船内に四時間ほど拘束され、景色鑑賞以外はやることがありません。30分くらいの川下りがあるなら、それが一番良かったのですが。桂林の近くなら、龍勝棚田が見たかったです…。

【桂林漓江:遊覧船展望エリアからの奇岩群】

2010-01-11

Christ Church Melaka, Malacca, Malaysia - 12th Nov, 2006


「マラッカに行ってみようかな」と思い立ったのは、その当日の朝。当時住んでいたのが、マレーシアの首都、クアラルンプールのKLCCという市内の中心地で、マレーシア全土に向けて長距離バスが出ているプドゥラヤバスターミナルは、自宅から近くてとても便利でした。思い立って1時間後には、もうマラッカ行きのバスに揺られておりました。マラッカという街自体は、見どころが集中していて、さほど大きくはなく、日帰りでも十分だと思ったので、朝9時くらいのバスに乗って、ちょうど昼下がりにはマラッカに着くことができました。

この地には、かつてマラッカ王国がありましたが、その後ポルトガルに占領され、オランダ領に引き継がれた後、マラヤ連邦として独立する前はイギリス領というように、目まぐるしい領主交代の歴史を刻みました。それぞれの影響と、マラッカ独自の華人文化が、街に渾然一体となって残っています。

私には、この「残っている」というのが、一番しっくりきます。なぜなら、海峡でしか名前を知らなかった小さな街に息づく、東洋と西洋が融け合う文化は、現在進行形ではなく、すでに過去の遺産として時が止まっているかのようだからです。数世紀前に、港湾都市としての力は衰え、シンガポールにその座を奪われています。混成文化遺産としての存在は、歴史を重ねるほどに稀有さを深めてきましたが、その一方で醸される、時が止まった過去の街としての寂寥感が、マラッカという街の魅力だと思います。日帰りの旅ながら、ゆっくりとした歩を進めつつ、過去に思いを馳せることができた、素敵な街でした。

マラッカの一つのランドマークは、オランダ広場にあるマラッカ・キリスト教会です。オランダ統治時代に建てられ、一帯はオランダ伝来の赤煉瓦に、更に赤土を塗って仕上げた建築が並んでいました。この一帯は、華やかりし往時のマラッカを彷彿させます。

【オールドマラッカ・オランダ広場前にて】

2010-01-10

Trinitarian Church, Bratislava, Slovakia - 11th May, 2008


スロバキアの首都、ブラチスラヴァには特に行きたい!と思う場所があったわけではなかったのですが、プラハからウィーンへ移動するのに、少し寄り道するだけで済むなら…と思って予定に組み入れました。観光できたのは、この日の午前中だけという慌ただしっぷりでした。

中欧で人気があるであろう、プラハやブタペストに比べると、街並みは小規模で、史跡に対する保護もそこまでは行き届いていない様子でした。それだけに観光客は少なく、観光客がそこかしこにいるような、観光地然とした雰囲気が全くなくて、こちらも目的地を慌てて周回する必要もなく、とてもリラックスして散歩できた街です。

その中で、一際印象的だったのが、トリニティ教会で行われていたミサでした。トラムが走る大通りを歩いていると、バロック様式のこぢんまりとした教会の鐘が、爽やかな初夏の朝の空気を伝って来ました。日曜の朝だったこともあり、人影も車も極めてまばらで、忘れたころにけたたましくトラムが走りすぎて行くくらいです。その時は、地元のガイドを持ち合わせておらず、教会の名前も何もわかりませんでしたが、鐘の音に誘われて入ったところ、ちょうど日曜日だったため、ミサに立ち会うことが出来ました。

中は驚くほどに涼しく、ミサ曲に耳を傾けながら涼んでいると、老婦が杖をつきながら階段を上って来て、敬虔な祈りを捧げます。その後、若い労働者のような青年も、一頻りの祈りを捧げて街に戻ります。スロバキアは国民の約70%がカトリックらしいですが、そういった営みが日曜の定刻に、淡々と繰り返されている姿は、18世紀に建てられた、見事なフラスコ画やインテリアと相俟って、本当に美しいものでした。このときの旅行では、数多くの教会を見ましたが、観光スポットとしてではなく、信仰が自然と生活に融け込んでいる姿を、唯一垣間見ることができて、心が安らぎました。

【Trinitarian Church でのミサ】

2010-01-07

The observatory, Pagan, Myanmar - 18th March, 2007


ミャンマーのパガンには数多くのパゴダといわれる仏教遺跡があります。その数は数千にも上ると言われていて、それが果てしない平原に点々と広がっている様子は圧巻です。昔は、それぞれのパゴダに登ることができて、そこからパガンの大地の景観を楽しむことが出来たそうですが、近年はパゴダ保護のため、登れるパゴダがほとんど無くなりました。

その代わりとして、パガンを一望できる展望台が造られたそうです。確か、本当に最近の話だったはずです。

私が訪れたときは、他に誰一人として客はなく、完全に独り占めでした。展望台は360°のパノラマを楽しめるようになっており、他に観光客がない、静謐の中で眺めるパゴダ群は、まさに神秘的でした。空想世界のように現実感がなく、ドラゴンクエストの祠の頂上から、どこまでも広がるフィールドを眺めているかのような情景でした。

【Paganにある展望台頂上より】

2010-01-06

Celetna Street, Prague, Czech Republic - 9th May, 2008


プラハの街並みの美しさは、昼と夜では異なった趣きで、どちらも素晴らしいものでした。戦乱の多かった中欧の歴史を考えると、中世からの街並みを奇跡的にそのまま残していることが、本当にその時代にタイムスリップしたかのような錯覚をもたらしてくれました。

時代的には新しい建物もあるのでしょうが、近代的な建築をあえて造らず、すべて石造りで様式も昔に合わせており、完璧に調和しています。日本では、かつての美しい街並みが失われて、特徴もポリシーもない、乱雑で無機質な街になってしまっているのを思うにつけ、悲しみを感じずにはいられません。プラハには24時間営業のコンビニなど、一つたりとも見ることはありませんでした。

この時は、ホテルに到着したのがすでに夜の23時をまわっていたものの、まだ日本からの到着初日で気も落ち着かず、時差もあって、夜中の1時くらいまでは街を歩き回っていました。

残念ながら店はほとんど閉まっており、チェコビールを一杯くらい…というもくろみは達成できませんでしたが、人出は深夜にもかかわらずけっこう多く、旧市街広場やカレル橋、プラハ城などの観光スポットは、煌びやかにライトアップされており、幻想的な雰囲気を一層引き立てていました。

この夜の街並みは、老夫婦が静かに散策して歴史に思いを馳せる、そんな情景がぴったり来るなと思います。是非また訪れて、今度はじっくりと店など見てまわりたい街です。

【プラハで泊まったホテルから Celetna Street にかけての一角】

2010-01-05

Metropole Zlicin, Prague, Czech Republic - 9th May, 2008


心の癒しを求めて、初めてヨーロッパに上陸したときのことです。

中欧を選んだのは、今年初めに、以前の新婚旅行で訪れた後輩から「プラハだけは今のうちに行ったほうがいい」という話を聞いていたからです。

プラハの空港に到着したのは、既に夜のことでした。
当たり前のことですが、表示は全てチェコ語。

プラハの空港からのタクシーは、ほぼ確実に吹っかけられるとガイドブックには書いてあり、初日からそんな目に遭いたくないなあと思っていました。乗り合いタクシーもあったけれど、それでは面白くないという好奇心が出てしまい、ローカルバスと地下鉄を乗り継いで市内に行くことにしました。

しかし乗り方わからない、金額もわからない、行き先もわからない。多分これだろう、ってバスに乗ったはいいものの、空港を出ると本当に暗い道。乗客もまばらで、空港であれだけいたほかの人はどこへ行ったのだろう…本当に地下鉄の駅まで着くのかな…と不安になるばかり。

じきに、買い物袋を提げたおばちゃん達が乗車してくるも、チェコ語だから何を言っているかわからないし、珍しいものを見るように、こちらを見てくる。(そもそも空港ですら、東洋人がいなかったし)
そんなローカルバスに揺られること30分、やっと駅に着く。Zličínという地下鉄の始発駅でした。とりあえず一安心。

さっそく券売機で切符を買おうとするが、札は受け付けない!操作方法も微妙にわからないし。あわてて、さっきまで開いていた駅の外の売店で何か買おうとするが、折悪く、一瞬のスキをついて閉まってやがります。駅の窓口っぽいところも、すでに閉めようとしていたので、そこにいたおばさんに両替をお願いをしてみた。すると、「私も細かいのはないのよ」と、財布の中身をわざわざ開いて見せてくれました。いや、おばちゃん個人に両替をお願いするつもりはなかったんだけど。どうやら窓口ではなかったようです…

仕方ないので、入場券みたいな一番安い切符の分だけコインがあったので、それで突入。プラハの地下鉄では、切符の対象外のところを乗車していると罰金を容赦なく取られるらしいので、ちょっとドキドキしながら、地下鉄に揺られて市内へと向かいました。

知らない土地に着いたときは、右も左も本当にわからず、当たり前のことすらままならないことが良くあります。そんな不安と緊張感を思い出させてくれる一枚です。

【Zličín駅にバスで到着したとき】

2010-01-03

Jaswant Thada, Jodhpur, India - 6th Oct, 2005


インド・ジョードプルの思い出といえは、完全に腹を下してしまい、ほとんどの時間をホテルで寝込んでいたことがほとんどです。このときのホテルが、なぜかホリデイインで、西洋風のホテルだったことは、部屋の設備や食事を含め、弱った身体にはかなり有難かったです。

寝込む前に、せっかく来たのだからメインのジョードプル城は見ておきたいということで、具合の悪い状態で気温40℃近くの街に繰り出し、例によってリキシャーとの交渉をし、丘の上にそびえるジョードプル城に向かったのでした。せっかくの絢爛豪華な城内も、ほとんど脱水症状に近い体調で観覧するハメになり、最後の方は立っているのも辛い状態になってしまいました。

そんな中で、ジョードプルの砦の麓にあるジャスワンサダ寺院の一角で出会った地元の大学生たちが、民族衣装をまとい、民族楽曲を歌いながらダンスをしている場面がありました。写真を撮ってもいい?と聞くと、もちろんいいよと言ってくれたばかりか、一緒に踊りましょうって展開になり、一人ダンス好きで元気な連れが楽しそうに踊っていました。その瞬間のことは、くっきりとした絵で覚えています。彼女達のビビッドな色の服装も、踊りも、気候や雰囲気に本当によくマッチしていて、美しさを一層引き立てていました。

彼女達と一緒に撮ったこの写真は、その時に一緒に旅した連れの結婚式二次会のスライドでも使われていて、やっぱりこれがいい写真だよね、と二人で話しました。灼熱の青い空と、極彩色の底抜けに明るい彼女達の踊りを鮮明に思い出させてくれます。

【Jaswant Thada 寺院敷地内の広場にて】

2010-01-01

思えば一人旅をするようになったのは、三年前にマレーシアはクアラルンプールに赴任して、異国の地で一人暮らしをしてから。それまでパスポートには、仕事で海外出張したアメリカと中国、あと他数個の出入国印が、さびしく押してあったくらいのものでした。

3才から6才までアメリカに住んでいたのに、海外に住んでいた時の記憶は何故か理由がわからないほどに断片的で、日本の記憶はもちろんないわけです。そういう意味では、自分にとって海外は、実体として住んでいたのに、ほとんど具体的な記憶はないという不思議な存在で、大袈裟にいえば、幼少期の存在そのものが、実感が薄いものなのです。そのせいか、自分にとっての海外は、根源的な回帰心を呼び起こすものであったり、憧れを抱いた存在であり続けました。

そんなことを頭の片隅では考えることもありつつ、ほとんど海外とは縁のない生活が20年以上も続いてきて、予測もしていなかったところから、海外赴任のチャンスを得ることができました。もともと好奇心で物事に手を付けがちな性分もあって、ろくに英語が話せなくて仕事にならないと知りつつ、貴重な海外赴任のオファーを受けたのでした。

シンガポール、クアラルンプール、バンコクの三都市を、一ヶ月の間にぐるぐる周りながら、周辺の国へも出張する生活がつづいて、体力的にはキツかったけど、短期間でいろいろな土地を知ることが出来たのは本当に楽しかったです。海外赴任しても、たいていは一都市だけでの生活になることを考えると、短期間に何都市もの生活を味わえたのは貴重な経験だったな、と思います。

見知らぬ異国の街は、一人で繰り出すだけでも何もかも新鮮でしたが、裏を返せば言葉も通じず、わからないことだらけで、屋台での注文の方法がわからずにびびって結局食事を抜いてみたり、スーパーのレジで「何も聞かれませんように…」と緊張するたびに、そもそも本当に海外生活には向いていないなーと思ったものです。実際まったく向いていなかったと思います。

そんな中で、アジアの各国に一人旅で出掛けるようになったのは、結局は一人旅という未知の世界に対する好奇心が、いろんな不安を上回ったのだと思います。外国の言葉に慣れてきたというのも、大きな要素でしょう。

海外生活は基本的に過酷で、日々暮らすにも、うだうだ考える前にとにかくやってみるしかない、という一面があります。そして意外と思ったよりは何とかなる(決して上手くいくわけではないけど)ものでした。これは一般的に良く言われるようなことですが、聞くのと、実際やってみて実感するのとでは、大きな違いがあります。

好奇心から一人で旅してみよう、と思えたのは、そんな海外生活の経験則から受けた影響が大きいと思います。行ってみれば何とかなる、行ってみれば未知の世界が待っていると。もちろん、土日に一日足せば、リゾートや世界遺産に気軽に行けるロケーションあってこそでした。

私が一人旅がいいなと思うのは、一人ゆえの身軽さです。自分で好きなプランを立てて、朝から晩まで、時間を最大限に有効に使えるところがいい。そういう考え方なので、同じ日数でも、普通のツアーの2倍か3倍の場所を周ります。それでも充分に、ゆっくり過ごしたい場所では時間を使ったり、それぞれの土地を堪能できることを知りました。

そして、決して他では見ることの出来ない景色に出会って、その土地のグルメを堪能し、そこで出会う人たちと儚くも思い出深いつながりを持つことで、本当に旅の価値は充分にかけがえのないものになります。

一人ではなく、友人と行く旅も、とても楽しいです。旅先の時間を共有することの楽しさは、一人旅では得られないもので、みんなで行く旅行もとても好きです。旅の後に、そのときに起きた事件が話すネタになるのも良いところです。

しかし、一人旅の魅力は、旅先に一人で置かれることで、その土地を見て、感じて、考えることに時間を全部使うことができるところであって、言うなればその場所を全身で、五感でじっくり味わいつくすことができます。また、全部自分で考えて動く必要があるため、連れられて動く旅とは違って、道中の記憶も鮮明に残ります。

一人の孤独感が、その土地の奥深さや新鮮さの輪郭を際立たせてくれて、非日常体験という旅行の効能を存分に引き出してくれます。それは、点と点の移動になりがちなツアーでは得られない感覚で、旅行の醍醐味はまさにここにあると思います。そういった感覚を求めて、これからも、できるだけ多くの世界に旅に出たいと思っています。